「月は二度、涙を流す」そのJ


第四章
5 五日目

 屋敷はいつもの穏やかな空気に包まれていた。青く澄んだ空が彼方まで広がり、雲は水に溶けるミルクのように薄くのびている。
 優香は部屋で昇の残した不動産の仕事の資料の整理をし、恵美と真一郎は部屋の掃除、望は自室でぼんやりとオークションの本を読んでいた。昨日の深夜の怒号が嘘のように、屋敷の中は安らかな空気に満ちていた。しかし、それは決して安らかなものではなかった。この静寂は疑惑そのものだった。誰も、自分以外に信用出来ない。だから誰も互いに近寄せず、距離が生まれた。
 結局、抜け穴は発見出来なかった。そして、誰かが開けたという結論以外には辿り着かなかった。初めは優香に渡すまでずっと鍵を持っていた真一郎が疑われたが、動機が不明な点などで確定できず、最後には誰もが怪しいという空気に変わってしまった。誰も鍵を開ける理由を知らず、誰も自分が開けたとは名乗り出ない。一人が三人を疑い、また別の一人が三人を疑った。
 そして一つの長い夜が、四人の心に猜疑心という名の傷をつけた。今、この屋敷の中にあるどこか穏やかなな空気は、小さな針で割れてしまうほど脆く張り詰めていた。
 そんな中、唯一その疑惑の呪縛に捕われていない光は、当ても無く屋敷内をうろつきながら、いつ真一郎に声をかけようかと機会を伺っていた。いつも屋敷の中を歩く時はジーパンにシャツのような格好をしているのだが、今日は少し布地の薄いブラウスに、柔らかいズボンを履いていた。
 日の光がゆっくりと傾きだす。やがて、その光は屋敷の真上を照らすだろう。光は屋敷の中に眠気を誘う淡い微睡みが漂っているようなこの時間に、自分の部屋を掃除している真一郎に声をかけた。
「今日ね、草原の方に行きたいの。でも、よく地理とか分からなくて。それで、真一郎さんについてきて欲しいの。駄目かしら? 時間は出来れば昼食の後ぐらいがいいわ。それと、真一郎さん一人でいいの。兄さまとか恵美さんはちょっと‥‥」
 真一郎は目を丸くして、掃除をする手を止めた。光を見つめると、見慣れた、しかしどこか不敵な笑みがある。そこからは何も掴めなかった。真一郎の脳裏に、昨日の食事時の光の顔が思い出され、そして次には怒鳴り散らす望の声が耳の奥で響いていた。
 僅かな沈黙が流れる。大きな瞳で自分を見つめているあの少女の成長した姿。真一郎は突然の質問にどう答えていいのか分からなかった。ただ、このまま素直にいいですよ、とはどうしても言えなかった。
 真一郎は心の乱れを悟られないように、無理に笑顔を作り、光に言った。
「残念ですが、午後からも仕事が残ってますので」
「ほんの少しでいいの。実はあと少しでお父さまの誕生日なのよ。だから、綺麗なお花でも送ろうと思って。ほら、私ってあんまり都会に行かないじゃない? だから、それくらいしか送れないのよ。ねっ、お願い」
 光は真一郎の腕に絡み付き、だだをこねる。その仕草は餌をねだる子猫のようだった。こんな仕草に望は惚れたのだろうか、とふと真一郎は思う。愛らしい瞳、絹糸のような髪の毛、まだ蕾のままの肉体。真一郎の行き場の無い焦りが、不意に光に対する肉体の渇望に変わる。
 今、地下室には自分のお気に入りの子は一人もいない。それは、自分が鍵を掛け忘れた事に対する罰なのだろうが、その後もあの女の子は部屋を出たり入ったりしている。それはもう、自分の責任の範疇ではない。真一郎はやり場の無い怒りを持て余していた。自分は何もしていない。初めに鍵を掛け忘れたの確かに自分だった。しかし、その後は決して自分はやっていない。なのに自分への疑いを消さない望と優香。その二人が大事にしている少女。
「‥‥一時間くらいですよ」
「本当に? やったあ、ありがとう、真一郎さん。じゃあ、昼食が済んだらそっちに行くから」
 無邪気に喜ぶ光。これは頭を撫でられた子犬のようだと、真一郎は思う。その例えに相応しい愛くるしい笑みを浮かべた光は、ダンスを踊るような足取りで鼻歌混じりに部屋から出ていった。
 光が部屋から出ていき、そこには真一郎だけがとり残された。一人になってから、真一郎は何故草原に行く事を承諾してしまったのだろう、とハッと我に返った。一瞬考えた迷いを、抑える事が出来なかったのだ。しかし、よくよく考えてみればそれは決して誤った選択ではなかったのかもしれないと思い直す。
 もしも、例の少女が光に何かを言って、それが原因で光があんな事を言い出したのなら、草原に何があるか確かめる必要がある。そして、万が一恵美と自分しか知らない死体置場にでも行こうとしているのなら、それを阻止しなくてはいけない。なんにしろ、唯一例の少女と意志の疎通の出来る光の行動は監視する必要がある。
 日の光を浴びてキラキラと輝いている窓の淵を雑巾で拭きながら、真一郎は自分にそう言い聞かせた。自分の一瞬の過ちを正当化するかのように、何度も言い聞かせた。
 いまいち煮え切らない思いで、真一郎は廊下に出た。掃除には慣れているはずなのに、何故か体が異様な程疲れていた。光の事を考え過ぎているからかもしれない。もしくは、昨日の事がまだ体に残っているからかもしれない。どちらにしろ、真一郎はこのまますぐに次の部屋の掃除をする気にはなれず、水の入ったバケツを廊下に置き、自分の部屋に向かった。


 光や望の部屋に比べれば幾分劣るものの、それでも普通の人ではまず住めないような真一郎の部屋。ソファと足の低いテーブルが置いてあり、みすぼらしい机と本棚が少し埃を被っている。全体的な西洋の雰囲気はあったが、どこか物悲しい空気が漂っている。真一郎は殆ど自分の部屋を使わなかった。いつも、恵美の部屋で寝泊りしていた。
 真一郎は部屋に入ると、ソファに腰を下ろした。体重がソファに落ちると、まるで力が抜けたかのように足が曲がってしまった。真一郎は疲れを吐き出すように大きなため息を一つつくと、煙草を口にくわえて火をつけた。
 目の前を見つめながら、黙って煙草を吸い続ける。ジジジッという火が煙草を燃やしてゆく音だけが聞こえる。真一郎はこれから先の日々が途方も無く長く感じた。これからどうなるのだろう、という漠然とした不安だけがプカプカと頭の中で浮いている。その不安の中に重く膨れる光の存在。今まで何の恐怖も無く過ごしてきたのに、何故今になってこんな思いをしなくていけないのだろう。あの少女が来なければこんな事にはならなかった。そう思う度、真一郎は、あの少女を連れてきた望に対するやるせない怒りを覚えた。
「‥‥真一郎? 何してるの? もう掃除終わったの?」
 ふと顔を上げると、恵美の顔があった。恵美が扉を開けて、ここに来て、そして自分を見下ろすまで全く気がつかなかった。真一郎は一瞬驚いたが、相手が恵美だと知ると安心して煙草を灰皿の中に捨てた。
「いや、まだ終わってない。ちょっと休憩だよ」
「珍しいわね。どこか具合でも悪いの?」
 逆さまに映る恵美の顔が近寄ってきて、額同士が触れ合う。恵美の赤い髪の毛が真一郎の頬に触れる。臭ぎ慣れた、でもいつまで臭いでても飽きない妻の香りがした。
「なあ、恵美。俺の事、疑ってるか?」
 ゆっくりと真一郎が訊ねると、恵美は額を当てたまま動かなくなった。真一郎は目を閉じた。そして、言葉が返ってくるのを待った。何時間も待つつもりだった。
 恵美は額から伝わる温もりを感じながら、どんな言葉を言えばいいのか、ほんの少しだけ迷った。真実を言うべきなのか、偽りを言うべまなのか。
 昨日の地下室から、恵美はもう何もかもが壊れてしまったような気がしていた。いつも手に出来ていた物が、ふと自分から離れていってしまうような疎外感を感じ、全てが幻だったのではないか、とすら思えてくる。昨日、あそこで起こった事は本当に現実だったのだろうか。身体の中でまだ残ってる重い感覚。身体は昨日の事を覚えているのに、頭はそれを理解しようとしていなかった。
 何故、この人まで疑ってしまうのだろう。頭が感じる唯一の事。それは目の前で自分の言葉を待っている夫の事だけだった。この人だけは疑ってはいけない。この人にだけは疑ってほしくない。そんな事ばかりが浮かび上がる。解けない知恵の輪を握る事をやめ、安らかな眠りを求めてしまう。互いに傷を舐め合い、何もかも忘れてしまいたい。
 恵美は無言で額を離すと、真一郎の横に座った。そして、膝の上に乗っている真一郎の手を両手で掴むと、いとおしそうに頬にすり寄せた。
「そんなわけないじゃない。あなただけは絶対に疑わないわ。望さんや優香さんの方がよっぽど怪しいもの」
 それを聞くと、真一郎の頭の中で浮かんでいる不安が、穴の開いた風船のように音を立ててしぼんでゆくような気がした。昨日の夜はセックスも何もせず、二人で抱き合ったまま眠った。その眠りの中で何度も考えた恵美の癒しの言葉。それはいくら頭で想像しても曖昧なものでしかなかった。しかし、本物の言葉を聞くと、それは重く心地好く体全体に染み渡った。
 真一郎は手をのばして、恵美の髪に指を通す。もう遠く昔に思えるあの風俗店の一室。紫色のライトの中で初めて見たこの女の髪の毛。それは今でも変わっていない。きっとこれからも変わらない。変わってほしくない。例え自分が変わろうとも、お前だけは変わってほしくない。わがままだな、とふと思い小さく笑う。
 真一郎の肩に頭を乗せると、恵美の口から自然とため息が漏れた。この人に全てを打ち明けるとなんと楽になるのだろう。私はどんな事があってもこの人から離れられない。この人となら、どこまでも一緒についていける。例え世界中の人間が自分を蔑もうとも、この人だけは許してくれそうな気がする。だから、私もこの人の全てを許し、全てを受け入れよう。
 恵美は真一郎の肩に顔をなすり付け、大きく息をする。夫の匂いがする。離れる事の無い、唯一肩を預けられる香り。
「この変な事件が済んだらさ、二人でどこか旅行しないか? あんまり金無いから海外には行けないけどさ、沖縄とか行って泳がないか?」
 右手で恵美の首筋に触れながら、真一郎は消えそうな声で言う。恵美は暖かな真一郎の手を感じながら、声を出さずに小さく微笑む。
「どうしたの? 突然。そんな事、真一郎の方から言うなんて初めてじゃない」
「最近さ、お前と二人っきりになってないなあと思って」
「今、二人っきりじゃない。それに、一昨日だってずっと一緒だったじゃない」
「この屋敷の中では、だろ? もっと、二人っきりになりたいんだ。駄目かい?」
 一日ぶりに真正面から向かい合う夫。そんな夫の言葉に、妻は笑った。その笑いは嬉しさに満ちていた。静かな室内に笑い声だけが、低く響く。
「いいわよ。それじゃあ、新しい水着買ってこなくっちゃね」
「露出の少ないのがいいな。フリルのついてるやつとか」
「何で? 私の体って、そんなに魅力無いの?」
「他の奴にあんまり見せたくない」
「望さんにも?」
「言うまでも無いだろ?」
 そんな他愛の無い会話を続けながら、真一郎は恵美に光の事を話そうかと考えたが、やめてしまった。今、ここでその話をしたらきっと恵美は可愛い笑顔を無くしてしまう。大丈夫だ、何も起こりはしない。ただ花を摘んで帰ってくるだけだ。真一郎は恵美の額に口付けをした。
「帰ったら、この続きしような」
「‥‥‥どこから帰ってくるの?」
 その問いに、真一郎は答えなかった。


 昼食後、真一郎は言われた通り、玄関口で光を待っていた。巨大な門が見える。あの門はリモコン式になっていて、何も知らない人間では決して開ける事が出来ない。
 数年前まで、自分も向こう側の人間だった。それが今ではここにいる。あの舌の無い少女は今はこちら側にいるが、まだ向こう側の世界の人間だ。自分達に支配され、生死さえも自由には出来ない。なのに、まだ完全に掴めていない気がする。まだ全てを支配出来ていない。残されたものが何なのかは真一郎には分からなかった。
 門からすり抜ける風を頬に受け、真一郎は目を細めた。
「ごめんなさい。ちょっと準備してて」
 後ろを振り向くと光がそこに立っていた。少し息が切れている。走ってきたのだろう。真一郎はいいんですよ、と優しく言う。
「それで、どの辺まで行きましょうか? 草原と言っても非常に広いですからね。やはり花が多く咲いている所ですかね」
 遠く向こうに地平線のように広がる草原を、細目で眺めながら真一郎は言う。光は真一郎の腕を取り、一階の庭の方を指差す。
「庭から小さな森を抜けると草原に出るでしょう? その辺に綺麗な花をあるのを見つけたのよ。まずはそこから行きましょう」
 そうですか、と真一郎が言う前に光は真一郎の腕を引いていた。足をもつれさせながら、真一郎は小走りの光の後に付いていく。光の肩をかるく隠す程の髪の毛から、何か良い香りがする。香水だった。真一郎はその今まで臭いだ事の無い清々しい匂いを感じ、ふと疑問を抱く。これまで光は一度も香水などつけた事は無かった。まして外に出掛けるのではなく、草原に行くのに何故香水をつけるのだろうか。準備とはおそらくこの事なのだろうが、真一郎は何故なのか全く見当がつかなかった。そんな真一郎の疑問など知りもしない光は彼を連れて、庭へと向かう。
 庭に生えている草は綺麗に刈り取られていて、まるでゴルフ場のように背の低い芝生が敷かれている。庭には青銅製のテーブルと椅子が置かれていて、昇はよくここで日曜日の午後を紅茶と共に楽しんでいた。しかし、昇のいない今、そのテーブルに紅茶が置かれる事は無かった。その庭を囲むような木々が、童話のヘンゼルとグレーテルが迷い込んでしまったような、そんな森を連想させた。
「真一郎さんだけなのよ。こんな事頼めるの」
 庭中に響き渡るような大きな声で、光が言う。澄んだ声は小鳥の嘶きのようだ。真一郎は手を引かれたままの状態で、その言葉を聞く。
「望さんがいるじゃないですか。それに、昇さんにあげる物なら、尚更望さんに頼んだ方が良かったんじゃないですか?」
「だって、知られたくないもの。プレゼント」
 手を握ったまま器用に体を反転させた光は、含み笑いをしながら真一郎の顔を覗き込む。そのあまりにもあどけない微笑に、真一郎は一瞬だが光に対する疑惑を失ってしまう。しかし、再び光が前を向いて歩きだすと、また香水の香りが鼻を掠めた。
 光は庭を止まる事無く通り過ぎ、森の中へと入った。森は庭と違い、空気自体が湿気を帯びているかのようだ。射し込もうとする日の光は濃い緑色の葉に遮られ、鳥の鳴き声もどこか非常に遠くでしているような感覚になる。
 真一郎はあまりここに入った事が無かった。どこか薄気味が悪かったし、何よりもここを通ると屋敷の人間に発見される恐れがあった。その為、ここに入るのは本当に久しぶりだったが、昔に感じた言いようの無い暗さはそのままだ、と思った。
 森に入ってから、光の歩く速さは段々と遅くなってきていた。疲れたのだろうか、それとも光もここにあまり入った事が無いから恐がっているのだろうか。どちらにしろ、真一郎はいつまで経っても光の後ろについていた。光はまだ真一郎の手をしっかりと掴んでいる。庭の時とは打って変わり、全く喋らなくなり、後ろを振り向く事も無く、ただ真一郎の手を半ば無理矢理握って歩いていた。
 真一郎は光の後ろ姿を見ながら、その姿に何か違和感があるように感じた。光の皮を被った別人のように思えた。今回の事にしても、今までの光ならば考えにくい行動だ。そう考えると、庭での明るい表情もどこか嘘のように思えてきてしまう。思い直してみれば、あの少女と出会ってからこの子も変わってしまった。全てがあの子が来た事によって、変化しつつある。
 今の今まで何物にも脅かされずに真一郎はパーティーや狩りをしてきた。幼い子供を犯す事も殺す事さえも躊躇無く出来た。
 それは彼らに対する絶対的な支配を確信していたからだ。人は全ての人間を罰する権利と、同時に全ての人間に罰せられる罪を持っている。真一郎は権利を使い、その罪を罰しているだけに過ぎないと思っていた。殺した者がどんな罪を持っていたかは分からない。しかし、誰かが不幸になれば必ず誰かが幸福になるのだ。誰かを罰する事によって、真一郎は自分が幸せになっていると確かに感じていた。それは血が滾るような、陶酔に似た生の実感、そして愛する妻との永遠の絆として。
 だが、あの少女は支配出来ない。完全なる罰を与えられない。いつまでも必死に藻掻いて、自分の腕から逃れようとする。
「‥‥」
 光の足の速さは森に入った時と比べて半分程度に落ち込んでいた。それでも光は手を放す事も無く、喋る事も無かった。真一郎が不信に思うと、まるでそれを察知したかのように、足を止めた。果ての無い静寂が立ち篭める。
「どうかしましたか? どこか具合でも悪いんですか?」
「そうじゃないの」
 光は真一郎の腕を掴んだまま、しかし、決してこちらを見ずに背中を見せていた。言葉が無くなると更に重く沈み込む沈黙。真一郎は光の次の行動が予測出来ない為、何も出来ずにその場に立ち尽くすしかなかった。遠くで聞こえていた鳥の鳴き声が、いつのまにか消えていた。音は何も無い。ただ、濃い緑色の光の中に二人の男女の姿があるだけだ。
「‥‥」
 一体どのくらいの沈黙が過ぎ去ったのか、真一郎には分からなかった。一分か一時間か。そして、気が付けば光がこちらを向いていた。しかし、見えた顔はさっきまで見ていた顔ではなかった。今、目の前にある顔は悩ましげな上目遣いで真一郎を見つめ、細い首にそれを誇張するかのように指を絡ませ、何かをじっと待っていた。
「‥‥」
 真一郎は光にどんな言葉をかければいいのか分からなかった。ただ、こちらをじっと眺めている光は、望がいけないと分かっていながらも恋い焦がれて仕方のないあの光と、そして全く知らない世界に住む美しい娼婦の、そのどちらも見えた。そして、そのどちらが正しいのか分からなかった。
 光は誘うように微笑むと、近くの木にもたれた。そして、ゆっくりと白いブラウスのボタンを外していく。言葉は無く、ただ笑う光。望よりも美しい肌が白いカーテンの向こうから顔を覗かせる。真一郎は自分に制御が効かなくなってきている事に気づいた。単なる興味でしかなかった少女の肌。しかし、その肌は想像していたよりもずっと白く美しい。まるで大空に浮かぶ雲のように、淀み一つ無い。真一郎はその肌に触れたい衝動に駆られていた。それを促すように、光は焦らしながらボタンを外していく。隙間から小さな胸の谷間が見えた。それは谷間と呼ぶには似合わず、双丘と言った方が正しかった。しかし、それでも真一郎は沸き上がる興奮を抑えられなかった。まだ誰も触れていない蕾。握れば透明な雫が滴れ、純粋を汚す。それを考えるだけで真一郎は射精しそうになる。
 ボタンを全部外し終えたブラウスは、肩にただ引っ掛かっているという形になっている。胸もまだ全部見えない。そのままの状態で、光はズボンのチャックに手を掛ける。薄い水色のズボンははっきりとその体のラインを縁取っていた。しかし、ゆっくりと外されていくチャックを見ていると、それすらも不満足だった。
 小さく、本当に小さな声で光はこう言った。
「いいのよ、抱いても」
 真一郎は顎から滴れる汗を腕で拭うと、光の前に立った。そして、右腕で光の後頭部を押さえるとそのまま一気に引き寄せて口付けを交わした。互いの唇は既に溶けそうな程に濡れていて、真一郎が光の舌を吸うと光は気持ち良さそうに呻いた。
 理由など分からなかった。何故、光が自分を受け入れたのか、自分は決して光に対して嫌な態度はとっていなかったが、だからと言って何かいい事をしたつもりもなかった。一体何が光にこんな事をさせたのか。
 しかし、そんな思いも唇から感じる感触や、手の平から伝わってくる肌の心地好さに掻き消されてしまう。今が楽しければそれでいい。そんな台詞をテレビの向こうで若い連中が言っていたのを思い出す。その時はあれがもっとも敗者らしい戯言だと思っていたが、今の真一郎は正しくそうだった。理由も、そしてこれからも何も分からない。ただ、今が幸せならばそれでよかった。
 ブラウスの裏側に手を伸ばし、乳房に触れる。まだこれからという感じの、幼さと大人との間で戸惑う膨らみ。それを力を入れずに優しく撫でる。光が悦に入った吐息を吐き出し、真一郎の肩に顔を埋める。真一郎はその顔を無理矢理上に向かせると再び、強く唇を吸い上げた。その間も手の中で、胸を撫で続けた。臭ぎ慣れない香水の香りが、鼻孔を麻痺させた。
 その場に座り込む二人。真一郎は唇から顎、肩へと舌を流して、胸に辿り着くと頬でその生暖かさを確かめた。微かに脈の音が聞こえる。ドクン、ドクン、その音は大して早くもなく、一定のリズムを刻んでいる。それを聞くと真一郎は安心した。これは紛れもなく現実だ。紛れもなく、自分は光を犯しているのだ。そんな喜びが滲み出てくる。
 半分ほど開いたズボンのチャックに手をかけ、全開にする。少し白いものが見える。真一郎はズボンの中に手を入れ、その白い物の上で手を蠢かせた。光の声がはっきりと聞こえる。行き場を無くした光の手が、真一郎の髪の毛を乱暴にかき乱す。真一郎はそんな事は気にせず、次第に濡れてくる白い物の内側の感触に酔い痴れていた。
「‥‥」
 光は生まれて初めて、男に抱かれていた。恐怖は無かった。喜びだけがあった。それは真一郎に抱かれるという喜びではなかった。この後、この後から全てが動きだす。それはある人にとっては、ようやく建てた塔があっという間に崩れ落ちるかのように、絶望するかもしれない。しかし、光にとってはもう何年も動いていなかった時計の歯車を回すかのように期待に胸を膨らませていた。
 目の前の男の人は、自分の体に夢中になっている。自分の体にこんなに人を魅了させる力があったとは思ってもみなかった。まだ母や恵美さんに比べて貧弱な体。そんな体に何故この人はこんなに夢中になるのだろうか。光はよく分からなかった。でも、それで良かった。この人が自分を抱いてくれないと、何も始まらないのだ。光は胸に頬を当てて愉悦に浸っている真一郎を見下ろしながら、また笑った。
 ズボンとパンティーを脱がした真一郎は、光の体から溢れる液体を手につけながら、その手を光の唇に押し当てる。光はそれを水飴を舐めるような仕草でペロペロと舐める。不思議な味がした。鼻孔を刺激する不思議な香り、水に少量の塩を溶かしたような、少し酸っぱい味。それを舌で感じながら、下半身に当てがられた真一郎の性器を見つめた。今まで昇のだって見た事が男性の性器。初めてなのに恐怖も興奮も無かった。ただ、そこにある現実を見る、という意識しかなかった。
 ゆっくりと自分の中に埋没してゆく真一郎。背中を駆け巡る電撃に似た刺激。光は首をすくめて、喉の奥から沸き上がる声を圧し殺した。真一郎はそんな光の姿を愉悦の入り交じった目で見つめながら、腰を激しく動かした。太股を伝い、膝の所で地面に落ちる二人の愛液が、朝露のように苔に落ちる。真一郎はより快楽を得ようと足掻き、光の背中や胸を無軌道に撫で上げる。恵美以外の人間は、全て自分の中に埋もれていった。自分が女を抱き、女は自分に抱かれる。いつもそうだった。しかし、光は違った。自分が彼女の中に埋もれそうになる。押さえては膨れ上がる強烈な射精感。きっとまだ挿入してから一分も経ってないだろう。なのに、もう殆ど歯止めが効かなかった。
 無音の中で淫らに響く接合音を聞きながら、真一郎は白く濁った悦の中に溶けていった。


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